中城村商工会トップページへ
中城村の文化財
商工会について
伝統芸能
おもしろ店舗
歴史の道
文 化 財
中城特集





■文化財

●MAP
●とよむ中城
10津覇のティラ
11安里のティラ
12伊舎堂の歌碑
13伊舎堂の3本ガジュマル
14泊の大クワデーサー






10津覇のティラ
----------------------------------------------------------------------------------------------------------
●「琉球国由来記」によると、津覇のソウ勝連という人が霊石を権現として崇め、宮を建てたのが始まりだとせれています。
●集落下方南側にあり霊石(ビジュル)信仰です。

■霊石(れいせき)
----------------------------------------------------------------------------------------------------------
海に浮かんでいた石・土中からとびあがった石・物を言う石など霊験が伝えられている石。
沖縄本島中南部の一部の農村では17世紀後半には霊石を権現として祀る習俗が成立していた。
『琉球国由来記』(1713)には、知念村久手堅の佐宇次権現・北中城村添石のギイス寺・同渡口の和仁屋間の寺(渡口のテラ)・中城村安里の安里権現(安里の寺)・同津覇の津覇の寺・那覇市小禄の中瀬社宮・糸満市真壁の真壁の宮(真壁宮)・那覇市辻のコバヅカサ、の8例が記録されている。
霊石を権現として祀り始めた者は男性(地方役員や農民)で、後代においても勧請者の血筋を引く男性が権現の司祭をおこなっている。これらの権現社の成立には王府官社の真言層も関与していた。
由来記以後の権現社としては、名護市部間の部間権現・本部町山川の垣之内グンジン・勝連町南風原のハマサチヌティラ・宜野湾市神山のグンジン・浦添市前田の権現および普天間グヮー・具志頭村具志頭のナカマンティラなどがある。
近代以降、佐宇次権現・安里権現・津覇の寺・和仁屋間の寺およびハマサチヌティラ霊石はビジュルとも呼ばれる。
権現には健康祈願など村人の多様な願望が寄せられるが、安里権現・真壁のティラ・ナカマンティラの霊石の一つは祈願の成就を占う重軽石である。持ちあげて軽いと感ずれば吉を意味する。


■ビジュル信仰
----------------------------------------------------------------------------------------------------------
ビジュルと呼ばれる霊石を祀る習俗。おもに沖縄本島に分布している。
ビジュルは高さ15cm〜1mくらいの自然石で、人型(ダルマ型)のものが多い。
ビジュルを安置した洞穴・石祠・神殿はティラ(テラ)とも呼ばれる。ビジュル所在地は100ヵ所を超える。ビジュルと呼ぶところが多いが、ビンズル・ビンジリと呼ぶ例もある。
18世紀の史料に記されている識名の神応寺・末吉宮(社壇)・鏡水の箕隅の賓頭盧(十六羅漢の筆頭)は、近代以来ビジュルと呼ばれている。ビジュルはビンズルのなまりであろう。『琉球国由来記』に記されている農村の権現社の霊石もおおかたビジュルと呼ばれている。
賓頭盧の原義を離れて、霊石をビンズル・ビンジリ・ビジュルと呼び慣わすにいたったのであろう。
由来については漂着譚が多く、一部には土中から顕現したという伝承がある。一般には旧暦9月9日を例祭とする。
村によってはビジュルヒチあるいはホーイと呼ばれる男性が司祭する。豊作・豊漁・雨乞い・航海安全などビジュルにたいする祈願の内容は多様である。子授け・子どもの健康・旅立つ者への加護を祈願したり、観音や権現の場合と同じく養い親(仮親)として拝む習俗は、中頭・島尻地方に分布している。子授け・子育てを祈願するという点では、日本本土の賓頭盧信仰に通ずる。
国頭村では近代においても海に浮かんでいた石を持ち帰り、これをビジュルと呼び、重軽石として拝む例があった。権現社の霊石にも重軽石の例がある。
また、末吉社壇や神応寺のビジュル(賓頭盧)も石占いに用いられる人型の自然石であった。
徳之島の天城町三京のテラヤマの麓にビンズルガナシが祀られ、9月9日には例祭がおこなわれる。大島の竜郷町秋名でも近代までビンズル神様が祀られていた。
宮古にはビジュル信仰は普及していない。八重山でビジリ・ビッチリ・ビディリなどと呼ばれる石は、田畑の神・牧場の神・屋敷神など地神を祀る石や、石敢当の類の魔除けの石を意味する。






Copy-right (C) 20.Jun.2002 このページは中城村商工会が制作したものです。