【?@正門】
昔は門の上に櫓が載っていたといわれていますが、現在は残っていません。門の外側には石畳道があります。この旧道は「ハンタ道」と呼ばれ、丘陵の縁辺に沿って首里城まで続いていました。
【?A西の郭】
前兆120mもある細長い郭で、ここでは兵馬の訓練が行われていたといわれています。南の郭へ上る階段は踏み面が左右もと段違いになっており、全国的にも珍しい階段です。
【?B南の郭】
城内の9つの拝所のうち3つの拝所がある神聖な雰囲気が漂う郭です。南側の城壁には3つの銃眼が空いており、ハンタ道の方から攻めてくる敵をこの銃眼からヒヤー(手砲)という銃器で狙い撃ったのではないかと考えられています。
【?C一の郭】
一の郭はグスクの中心部で、前庭の奥に一段高い基壇があり、その上に主殿が建てられていました。その配置が首里城と類似しており、それだけこのグスクが中山の領域内にあって首里と強いるながりを持っていたものと言えます。
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【?D二の郭】
城壁上からの眺望は素晴らしく、東には太平洋や久高島、北東側には護佐丸のライバル阿麻和利の居城勝連グスク、西側には宜野湾やその先の東シナ海が一望でき、このグスクが要衛の地に立っていたことがわかります。また、郭内には日露戦争の忠魂碑が建てられています。
【?E三の郭】
北の郭と三の郭は護佐丸によって増築されたと言われており、先中城按司が築いた部分は四角い石を積んだ布積みなのに対し、護佐丸が築いた郭では石を多角形に切って積んだ相方積みとなっています。東側の城壁では布積みと相方積みを同時の見ることができます。
【?F北の郭】
階段を下りていくとウフカー(別名:バンジュガー)という立派な石積みの井戸があります。北の郭はこの井戸を中に取り込むために築かれた郭で、護佐丸がグスクの防衛力強化を図った事が分かります。
【?G裏門】
北の郭の北側に裏門があります。裏門といっても正門より新しい時代に新しい技術で護佐丸が築いただけあって、規模の大きな美しいアーチ門です。
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