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世界遺産登録「中城城跡」
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■世界遺産

●世界遺産中城城跡
●中城城跡の概要
●ペリー提督と中城






■ペリー提督と中城
ペリー提督も賞賛
1853年に来島したペリー探検隊の一行も現地調査を行い、『要塞の資材は、石灰岩であり、その石造建築は、賞賛すべきものであった。石は・・・非常に注意深く刻まれてつなぎ合わされているので、漆喰もセメントも何も用いていないが、この工事の耐久性を損なうようにも思わなかった。』と記し、中城城跡のすばらしさを讃えています。


ハイネがスケッチしたペリー探検隊の様子。
1853年5月31日昼前、“旗岩”を去って1時間後の中城の古城。右手後方に勝連半島とカンナ崎を望む。
カンナ崎東方の小島アギナミ岩、浮原島まで描かれている。(青い目が見た大琉球より)
●南側から城内に向かう様子がよくわかる。
●当時の琉球の人の服装もわかる。役人なのか笠を持っている様子が描かれている。


1853年5月31日正午ごろ、南門から入場して描いた中城西側の絵。遠方に勝連半島を望む。実際は樹木が繁茂し、見通しが良くないので、ハイネは絵の中できこりになって樹木を切り倒して見通しをよくした。
※中城城の本丸には大邸宅があり、屋敷の主人が探検隊を招待して、お茶をふるまった。中国人の苦力の話では、その主人は“日本人領事”だということだ。(青い目が見た大琉球より)
●このことから中城には薩摩藩の番所があったことが想像できる。

●ペリー提督遠征記の中には当時の琉球の少年のことが書かれている。
『琉球の人夫は、12歳から16歳までの少年だった。かんかん照りの中を重い荷物を肩に、でこぼこ道を進んでも、この少年たちは少しも汗をかかず、一滴の水も飲まない。ほんとに不思議だ。元気よく、忍耐強い。いつも笑顔を絶やさず、さっと行動に移る。しかめっ面を見せることもなく、不平もこばさない。世界のどこにもこんな少年たちはいやしない。』
- ベイヤード・テイラー -




Copy-right (C) 20.Jun.2002 このページは中城村商工会が制作したものです。