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■歴史の道

●MAP
●中城城主 護佐丸
新垣の石橋
新垣グスク
ペリーの旗立岩
県道開鑿記念碑
スディバナ
中城城跡
伊寿瑠按司の墓
台グスク
護佐丸の墓






台グスク(久場)
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台グスク ●中城グスクから数百メートル東方にある。
●先中城按司(護佐丸以前の中城城主)の居所とも伝わっている。詳細は不明。


【台グスク】
または岱グスク。
護佐丸の一時の居城か:久場集落の中城湾に突き出したような丘陵の先端部に築かれたグスクである。
丘陵先端部には仮小屋が建てられており、車一台が通れるほどの山道が広場まで通じている。
段差のついた広場は、石灰岩の露出もほとんど見られず、むき出しになった地肌が目につく。水準点の設置された最高所に、石垣で囲まれた小さな拝所が見られるだけで、グスクの面影を伝える地上遺構はない。頂点に立つと、眼下に集落が静かなたたずまいを見せ、太平洋の海原にとけこんでいる。
中城湾、金武湾が微妙な色あいを見せ、勝連半島の島々の孤影が陰を落とす。南東には弓なりの知念半島が視野をかすめ、山並みの稜線がくっきりと浮かびあがる。道一つ隔てた南側には、武将護佐丸の居城、中城グスクの色を濃くした城壁が緑濃い森に彩りを添えている。中腹には、護佐丸の墓が潅木に抱かれるように静かにたたずんでいる。
1990年の調査によって、グスクの立地する丘陵の崖下の各所に遺物包含層の存在が確認されている。試掘によって得られた出土遺物は、洪武通宝二枚をはじめとして土器、貝類、チャート石片などであった。特に、土器に関しては、ほとんどが「くびれ底土器」を呈するかめ形土器で、この種の土器群の位置づけに新しい資料を提示するものとして注目されている。
いい伝え:護佐丸が座喜味グスクより中城グスクに移る際に、一時的に居住してグスクだと伝えられている。また、一説には、護佐丸の兄の伊寿留按司の居城とも伝えられている。
資料:沖縄のグスクめぐり(むぎ社)






Copy-right (C) 20.Jun.2002 このページは中城村商工会が制作したものです。