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首里城を起点として、西原町の「幸地グスク」、中城村の南上原・北上原・新垣に延びる丘陵上の古道を「ハンタ道」とよぶ。ハンタ道は首里城と中城グスクを結ぶ最短のルートである。
首里城→幸地グスク→新垣グスク→中城グスクを結ぶとなれば、グスクの道であり、沖縄グスク時代(12〜15世紀)の戦場の道である。
第1尚氏王統6代・尚泰久(1454〜1460年)、護佐丸(中城城主)、阿麻和利(勝連城主)が天下人になることを夢見て、馬上の人となってこのグスク道を駆け抜けていった。まさに、琉球における「天下分け目」の戦いであった。
中城城主 護佐丸(?〜1458)
琉球の三山分立時代(1416年、15世紀初頭)護佐丸は尚巴志と共に、今帰仁グスクを攻め落とし、その功績が認められ読谷の地を与えられて座喜味グスクを築き城主となる。その後勢力を増やしていた勝連城主阿麻和利を牽制するために中城に拠点を移す。
■琉球統一の末期の頃に起った護佐丸・阿麻和利の乱
この乱は組踊りなどの題材にも取り上げられ、文化まつりやぐすくまつりにおいて、毎回組踊「護佐丸」として上演されています。
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